オートセレクトの歴史

オートセレクトジャパンの歴史

オートセレクトが雑誌の誌面に初登場したのは、1985年のCAR BOYゼロヨンだったと記憶しています。 その当時は車の改造が大流行で、若者の車の8割くらいは改造車でした。 私もその例に漏れず、免許を取ってすぐに改造車を造っては色々いじってました。 数々の失敗と成功を繰り返し、ついに1985年、AUTO SELECTとして活動を開始したのです。

それからは、ひたすら挑戦と試行錯誤の日々が続きました。 その後、当時の目標であった「メカの330馬力」も達成し、ストリートゼロヨンで トップクラスだった車を数台メンテナンスするようにもなりました。

次の目標は、メジャーになりつつある「ターボチューン」に取り組むことでした。 過去、1982年のホリデーオート ゼロヨンでも優勝経験があり 自信もあったので、開発の方は比較的スムーズでした。 しかし、谷田部の最高速トライアルへの挑戦は大変刺激的で、また、得るものも多く 新鮮な感覚でさらに打ち込むことが出来ました。

やがて、主流はインジェクション仕様になって、新たな燃料セッティング等のノウハウも必要になり、このときも試行錯誤を繰り返しましたが、幸い、キャブレターセッティングでのノウハウが役に立ち、燃料セッティングの方向性は割とスムーズでした。 しかし当時、「ブラックBOX」と呼ばれていたエンジンCPUの解析が遅れており、また、レベルも低かった故、求めていたパワーが出ずに苦労した時期もありました。

次の目標は、特に大阪で流行った1600ccのチューニングで、主にサスペンションのセットアップ関係や アライメント等でまたしても試行錯誤…テスト走行の日々を送りました。 もちろん、サーキットにも通い、自らステアリングも握り、中山サーキットの草レースにおいてドライビングテクニックやサスペンションセットアップのノウハウを得、そして 1991年鈴鹿のシビックレースの出場をきっかけに、現在に至るまでJAF戦をメインにレース活動をしています。

平成元年、R32型 スカイライン GT-Rが発売され、エンジンパワーに負けないボディとトラクション性能が手にはいるようになり、またまた開発に没頭しました。 まずはブーストアップから始め、400馬力仕様でサスペンションをセットアップし、あらゆるステージでテスト走行を繰り返しました。そのうち、今度はサーキットで走らせてみたくなり、1992年鈴鹿フレッシュマントロフィーレース N-1クラスにエントリーするため、N-1レーシングカーの製作に取りかかりました。 1993年には2台エントリーとなり、ついには N-1 500km耐久レースにも出場しました。

そのころのストリートチューンは、600~700馬力が主流でゼロヨン10秒台が目標でした。 谷田部でのAuto Maximum誌ゼロヨン記録会では、当時としては「計測間違いじゃないか?」と疑われたほどの10秒台を叩きだし、業界を驚かせました。しかしまた、RB26の弱点がクローズアップされてきた時期でもあり、同時にGT-Rそれ自体にも色々な弱点が判明し、それらの対策を講じると共に、オリジナルパーツの開発にも着手しました。

それと同じ頃、メーカーからもV-Specが発売されたことによってさらに戦闘力がアップし、鈴鹿のクラブマンレース N-GT クラスにR32でエントリーするようになりました。 チューニング屋としては非常にやりがいのあるレースでした。 このレースでの経験が、オリジナルパーツの「代表作」でもある湾岸スペシャルサスキットの誕生につながったのです。

現在、「ストリートカーでサーキット走行も楽しむ」という機会が増え始め、私共のレース活動での膨大なノウハウが大変役に立ち、トラブルもなくサーキット走行を存分にお客様に楽しんでいただけるよう、AS走行会も開催するようになりました。 一方、チューニングの方はCPUの解析もほぼ終わり、また、アフターパーツも充実したことで、500~600馬力は当たり前で、しかも十分実用になり、かつ壊れないレベルとなり、ゼロヨン仕様に至っては800~900馬力までパワーが望めるようになりました。

今まで、数々のレースに参戦し、そして色々な仕様の車を谷田部のテストコースなどに持ち込み、0-300km/hトライアルや最高速テストなどを行いました。 その結果、全て思っていた数字が記録でき、今までのチューニングに対する考え方や方向性に大幅な誤りはなかったものと確信しました。 私たちは、ストリートカーに対するチューニング論やチューニングのアプローチを 創業当時から大幅に変更することなくやってこれたのは、社長を始め、SELECT RACING TEAMのメンバーの方々がチューニングカーに対する思い入れを忘れず、手足のように使いこなす努力を怠らなかったお陰だと思っております。 これからも、チューニングショップとしてお客様が満足するような車づくりをしていく努力を怠らず、また、現役の走り屋としてチューニングカーを愛し、スピードに対する情熱を探求し続けていきます。


原文:澤英一郎